445:my Little flag





どーしてだか毎年5月が近づくと無性に海が恋しくなる。無性に。 

今日が当然の如く今日である如く、ハチマキは頭に、そして5月にはごく当たり前の如く海に行きたくなる如く。 


そこまではまぁ生理的な現象として納得できるんだけど、問題は僕の超無計画性にある。 


天気とかスケジュールとか体調とか上着とか、、、結構大事なファクターさえもまるっきり無視して、お家を飛び出してしまう。(昨年はそれでそれなりに大変な目にもあった。) 

で、今年も僕は半ば強引に直感的に、海に向かったという話です。 



今年の目的地は、三保の松原? 

バイトの先輩である浅井さんのオススメスポットとゆーことで、ナビに従って列島を横断(まではしてない)。 

ナビによると三保は静岡。ということだった。 


3時間高速をひた走り、夜の9時には超着いた。 


羽衣の松というちょっとうらぶれた観光地にナビは導いてくれたのです。 

しかし、駐車場のうらぶれ具合とはウラハラに立派は松が迎えてくれました。 


月明かりに照らされた、図太く立派な松達は幻想的で力強く、何より暖かかった。 


そしてボクは松林の向こうに海を見つける。 



夜の海。その月明かりに照らされた浜辺は波と砂以外は何もない。 

まるで、世界の終わりみたいだ。 


でもこんなに穏やかに、静かに世界が終わるなら、それもきっと悪くないんだろうな。と思う。 


何も考えずにひたすらに、ひたむきに浜辺を歩いた。 

夜の浜辺は、どこまでも同じ景色で、何もかも新鮮に映る。 

そして寒い。いや、さぶい。 

さずかにアウター知らずのうっちーでも、これはさぶい。さぶぶぶぶぶぶ 


と、命からがらマイカーに無事帰還。 


こんなことしたって全く無意味にさえ思う。お金と体力の浪費。 

でも時々こうやって世界感みたいなものを更新しないと、毎日の鮮度がどんどん希薄になってって、生きてる意味とか余計な考えが止まらなくなる。 

でもでもでも、逆にこの一見無意味に見える一歩が実は絶大で、大切なんだと経験が教えてくれる。 


やっぱ旅っていい。 


どんなに小さくても必ず得るものがある。 

それがあるからまた確実に前進できる。 




うらぶれた観光地的趣きの駐車場で寝るのは嫌だったので、もっと海岸沿い的なベスポジを探した。 

車から海が眺められる場所がイィなぁ〜って5分走ると理想的な駐車場を発見。 

ただそこは、静岡の若者たちに超人気プレイスのご様子で、一晩中ズンズン系のヤン車が出入りしていた。 


am1:00就寝。 



目が覚めると、空は少し明るくて、鼻水だかヨダレだかで、顔が近年稀に見るグチャグチャぶりを誇っていた。 


昨日は暗くてよく見えなかったけど、海を隔てて反対側の岸には富士山がそびえていた。 

グチャグチャの顔を拭きながらちょっと感動したボクでした。 



しばらくすると、赤くずんぐりした太陽が水面から徐々に姿を表す。 

空中に昇るにつれ、産まれたての太陽は次第に身軽さを増し、力強く輝いていった。 


漁船が何隻か目の前を通り、奇跡的に美しい朝焼けが1日の始まりを告げる。 

こんな風景が毎日世界中のどこかで繰り広げられてるって想像してみると、自分の見てる毎日なんてすごくちっぽけだ。 


ちっぽけで、かけがえのない毎日だ。 


今を大切に、ていねいに生きよう。 



写真を数枚撮り、ボクはまた眠りに落ちた。











444:ノン・ファインド





今日はしさびさに39時間寝ずに活動してまーす。 


絶好調極まりないですね。 


でも20世紀少年の浦沢さんはマックス54時間くらい起きてた記録があるそーなので、ぜし挑戦したいですな。 


話は変わって、ボクは気分写真家なので、気分次第では2週間近くカメラを手にしなかったり、寝食を忘れて写真を撮り続けたりと、結構ムラムラです。 


しかもここ最近はずっとファインダーを覗かない方が遥かに良い写真が撮れるので、“写真”に対する姿勢は比較的いい加減になってます。 


まぁ気負いがなくて、良い加減なのかもしれませんが。 


ただ最近加えて一つ気付いた。 

ファインダーを覗かないということを最大限に生かせば、絶対に面白い写真が撮れる。 



と、いうことで今回の写真が撮れました。 



なんでもやってみるもんです。 




まだまだ眠気がくる気配もないので、このまま目指せウラサワ!!タハハ










443:ゴミのようなもの





今日は徹夜空けの眠気覚ましに、いつものランニングコースをのんびり歩きました。 


春の早朝の冷たい空気が肺を満たしてくれて、たいへん気持ち良かったです。 

ウグイスや小鳥たちのBGMもなかなかのものでしたね。 


加えて今日はランニングコースへの感謝と、今度の展覧会の素材集めをかねて、ゴミを拾いながら歩きました。 

フツーのビニール袋を下げてゴミを拾うのは“いかにも”な感じがして嫌だったので、エスプリをきかせてフランフランの袋でゴミを拾いまくってやりました。 


こういう時こそ、あらん限りのポジティブなイメージを行為に付加することが大切なのです。 

良質なイメージこそが行動の質を左右する。 


更に、ゴミを拾って袋が膨らむ度にフランフランで買い物をした感が出るので、なかなか悪くないゴミ拾いです。 


ただのゴミ拾いウォーキングですが、こうやって歩いていると本当に沢山の発見があります。 

まず第一に(当然ながら)車の通る道にしかゴミが落ちてないということ。 

二つ目に、捨てられているゴミのほぼ100%がコンビニ発のゴミであること。タバコ、野菜生活、スルメ、タバコ、タバコ... 


三つ目に、ゴミを捨てる人以上に、拾う人が少なすぎること。 


悲しい話です。 



一つ目の原因は恐らく、現場感の欠落が最大の原因だと思います。 

車に乗ってると、外の世界は全く自分と関係ない場所になってしまいがちに思われます。 

つまり、車の中さえ良ければそれで良しの世界。 


普段車でしか通らない、例えば阿木ダムみたいな所に車を止めてみると、いつも運転しながら通る時と感じる印象か全く違うことに気付かされます。 


そんな認識の違いが、よりゴミを捨てやすくしてる様に感じました。 


2つ目のコンビニ問題。 

多分全国どこにいっても、同じ様な面がまえのコンビニがある限り、同じ様な顔つきのゴミが同じ様な体位で捨てられてるんだなぁと思います。 


最後は、拾う人。 

ボクはポイ捨てをする人も相当なワルだと思いますが、見て見ぬフリをする人も同等かそれ以上に悪質に思えます。 


普段見ているとウォーキングしている人は結構います。 

でも皆様ゴミなんて、超スルーしちゃいます。 


まぁ、ボクが勝手にゴミと呼んでいるたけで、それがどういった定義、認識の下にゴミと呼ばれるかは、別として、とにかく酷い話です。 



なぜ捨てるのか?、と同じくらい、なぜ拾わないのか?、という問いかけも必要かもしれませんね。 


今日フランフランの袋いっぱいに拾ったゴミのようなものたちは、次の展覧会で活躍して頂きますよ。ふふふ 




とにかく今日もみんなが気持ちよく生きられますよーに。 



No,Peace No,Life











442:『必要になったら電話をかけて』をよんで。





気晴らしに読んだレイモンド・カーヴァーの1冊。 


この本を手にとるまで知らなかったが、レイモンド・カーヴァーといえば短編小説。 

とのことで、彼は短編小説を専門とする短編小説の職人だそうだ。 


しかも、村上春樹翻訳ライブラリーとして、短編集だけで7、8冊も出版されているのにはさすがに驚いた。 


そして、幸か不幸か僕がドキドキファーストコンタクトを試みた1冊は、その一連の膨大な翻訳作業の締め括りであり、 

著者の死後、その書斎から発見された“恐らく未完の”短編たちだということであった。 


なんだか最初からクライマックスという感じで、逆に拍子抜けしてしまった。 


でも、しぶしぶ読み出すとその独特な世界観にスッポリ(頭からつま先まで)飲み込まれてしまい、以外なまでの口当たりの良さにそのまま完食。 

短編も見た目より味である。 


日本料理で言うならば和食の大将というよりは、味なつまみを提供してくれる居酒屋のおやっつさん的1冊でした。 

彼の短編の適度な短さと独特な味わいは、塩加減をわきまえた正に極上のツマミである。 


“恐らく未完”がこのレベルならと、ボクはつい次の短編へとハシゴしてしまうのした。 


今夜は飲んだくれオールナイトだぜ。 



『必要になったら電話をかけて』 

著者:レイモンド・カーヴァー 

翻訳:村上春樹 

出版社:中央公論新社 

価格:¥1,050 

読切り時間:2時間 

デザインポイント:ペーパーバック版なので、持ち運びに最適で空いた時間に1本読めてしまう感じも良い。 

こんな方にオススメ:人生にある種の行き詰まりを感じている方。










441:僕はここに、




今日は一仕事終えて夕方からがらんへ行きました。 


天気も恐ろしく穏やかで、あたたくて一人でぼんやりコーヒーをすするのは最適、というか最高だ。 


窓についたカメ虫さえいとおしく思えてしまう程に、最高だ。 


環境は人を変える。僕らの感覚なんてものは殆ど幻覚みたいなもんです。 

現実とは幻想。 



そして今日はなんて日曜日的日曜日なんだろうか。 

会社を辞めて曜日なんて関係ない暮らしになっても、 
ちゃんと日曜日は日曜日だから不思議だ。 


きっと日曜日は沢山の人が休みだから、みんなのハッピーオーラが 
なんとなく世界を明るくしてんのかもしれませんね。 




そいや、がらんに通うようになってもう1年近くになる。 


1年。 


最近“進んでいる”という手応えが薄くなってた。 

1年前はもっと、砂の海でも泳ぐように力の限り腕を前に出していた、ように思う。 

反対的に、最近はなんとなく空振りに近い。 

なんだか虚しく空中を泳いでる気分。 


なんか変わっちゃったのかな。もしくは次のステップへの過渡期か、、、 



そして丁度1年前と同じように、羊をめぐる冒険を読みながら頂くコーヒーはチョット苦くて、懐かしく感じられました。 


格好つけて、強がって、理屈ばかりボクです。 


無駄に悟ったフリばっかりで知る努力もしません。 



もう一度ちゃんと歩けますように。 


がらんのコーヒーが暖めてくれた。 





なんっつて。バンプはすげーよ。へへっ 




さ、も一度ちゃんと歩きだそう。 


何度だって出直してやる。 




僕はここにいる。 




僕はここに、